六歳の頃水彩画を始めましたけど、その後すぐにテンペラ画に転向したのはテンペラのペンキは与える可能性を気に入ったからです。ディズニーのキャラクターを木で描いたのはその材料となる木が無料だったからです。数年後に、絵画を止めて音楽と写真撮影などに興味を抱くようになりました。単科大学を卒業してからまた画筆をとり、今回カンバスにアクリルで描いて、フリースタイルまたは抽象画ということを始めました。
私の家族の大好きな話題のは神曲という本でした。単科大学でその本を読む機会があり、その後、ロサンゼルス市のカリフォルニア大学の工学生になりました。科学を専攻しましたが、イタリア文学は副専攻でした。けれども、ロサンゼルス市のカリフォルニア大学に入ったところ、工学科目を取らずに、その代わりに神曲科目の勉強とその後のダンテアリギエーリ全集の勉強を教養課題として選択しました。その勉強は一番愉快な経験でした。神曲は色々な方法で私の生活を変えました。ダンテの直々の教えは私を死後の世界を探検することに夢中にさせました。しかしながら、視覚的に具現化することは、ギュスターブ・ドレの挿絵を使ってでさえ、困難を極めました。その当時にインターネットがなかったため図書館ではほかの資料を見つける事はできませんでした。
ダントロジストのリッカルド・プラテシさんは私の不正確な絵画を見ると、1480年にほぼ完璧に神曲を解釈したサンドロ・ボティチェリの作品おのずと、私に多大な影響を与えることになりました。彼は私が本気にダンテの地獄の解釈を映画と出版物にしたければ、ある教えた間違えを直さなければならないと言いました。そこで、私と同じダンテの作品が好きだというリッカルドは喜んで私の相談を受け入れてくれました。リッカルドはチームに入った前に、私はとあるシーンのデザインをてつだったアヴぇチック・バライアンという人と協力して、前に見なかった絵画のコレクションをこの世にもたらすことも成し遂げたることができました。すべての詳細と豊富な色と適当な描写も、リッカルドとアヴぇチックの協力と、サンドロ・ボティチェリの絵画のおかげで、達成するこができました。
"神曲は文学史の中に一番視覚的な内容を含んだ詩で、最初からその手書きと暗号の中に出た神曲は小さい挿絵に一番人気のある部分を従いました。ディノ・ディ・デュランテはダンテの詩を挿絵にする最後の画家です。彼の絵画は詩の部分とキャラクターの挿絵だけでなく、挿絵の力で詩は現実的かつ視覚的な解釈になります。"
マシも・チャボレーラ、博士号、中世とレネサンス研究センターディレクター
カリフォルニア大学、ロザンゲレス(UCLA)- USA